日本におけるファンド市場の歴史

  • 2018-06-14
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1990年後半

1990年後半から日本ではバイアウト案件が増えはじめ、アドバンテッジパートナーズやユニゾンキャピタルが第1号ファンドの組成し、すでにベンチャー投資を行っていたみずほキャピタル、ジャフコ、東京海上キャピタルなどが後に続きました。また海外プレイヤーの参入もこのころから活発化し、ローンスターやサーベラスなどの不動産投資、不良債権投資を主体としたプレイヤーに続き、リップルウッドやカーライルが日本にオフィスを開設。リップルウッドは、新生銀行(旧:日本長銀信用銀行)、ナイルス、コロムビアミュージックなどへの投資を行い、カーライルでは日本特化型のファンドを組成し、アサヒセキュリティ、キトーなどへの投資を行い、実績を積み上げていきました。


2000年前半

2000年に入ると、日本で活動するファンド数は一気に増えていきます。象徴的なものとしては、CVC、ゴールドマンサックス、シティック、ペルミラ、KKRなど有名ファンドプレイヤーの日本参入です。CVCは2003年に日本オフィスを開設しタワーレコードや昭和薬品化工への投資、GSは当初ベンチャー投資を行っていたがその後バイアウトに参入、2003年にソフトバンクテレコム(日本テレコム)の案件に参加、シティックは2004年に丸紅、新生銀行、住友信託などを投資家として第1号ファンドを組成している。 国内企業では大手証券会社がプリンシパルインベストメント(自己資金投資)業務に参入し、野村、日興、大和証券などが投資会社を設立し、中小から大型案件まで幅広い案件を手掛け、西武、すかいらーくのような案件における投資コンソーシアムへの参加も多くなっていきました。


2000年中盤

2000年代中盤では、新しいスタイルのファンドが登場します。「再生ファンド」と呼ばれるファンドです。債務超過や法的整理の企業に対して積極的に投資を行う動きが増え、日本政策投資銀行では複数の民間再生ファンドや特定の企業の再建を目的として出資を行ったり、2003年には産業再生機構が設立されカネボウやダイエーなどの大型案件から地方案件まで幅広い再生案件を手がけました。この背景には日本政府の企業再生ファンド設立促進を盛り込んだ方針が大きな要因となっている。


2000年後半以降

2000年代中盤以降では、J-STARやニューホライズン、CLSA、ヴァリアントなど数々のプレイヤーが参入し、2010年付近ではリーマンショックの影響もあり、クローズしてしまったファンドも出てきましたが、景気回復・案件数増加と共に、新しいプレーヤーが出てきております。 大手ファンド出身者が立ち上げたファンド、銀行・政府系金融機関をはじめとした金融機関を母体とするファンドに加えて、大手商社によるPE事業の強化も顕著な傾向です。大手商社は日本のバイアウト市場創成期から海外プレイヤーの日本拠点立ち上げの際の支援や、合弁によるファンド設立、運営の経験もあり、丸紅、三菱商事、伊藤忠、三井物産などをはじめとする大手商社で体制を強化しています。

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